ロキロキの雑記

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【感想】『ゾンビランドサガ』について

お久しぶりです。最近は修士論文にかまけてブログとか有象無象のことを忘れていました。

今季のアニメは『ゾンビランドサガ』『グリッドマン』『やがて君になる』と私的には良作揃いです。普段なら1クールに真面目に見るアニメは多くても2つくらいなんですが、今季は上記に加えてジョジョまで見ていたのでいっぱいいっぱいでした。それでずっとツイッターで囀っていたのですが、囀っているだけではオタクはアニメを見てくれないとわかったので、一応冬休みと呼ばれる何かになったことだし久しぶりにアウトプットします。

今回は『ゾンビランドサガ』のお話です。

アニメの詳細とかあらすじとか登場人物とかは書くのがめんどくさいので公式サイトを見てください。

zombielandsaga.com

 

ぶっちゃけて言うと、「7体のゾンビが7人のアイドルグループ『フランシュシュ』としてアイドル活動をして佐賀県を救う」という話です。これだけだと意味が分かりませんね。

 

そんなゾンビランドサガですが、このアニメは楽しみ方が3種類あります。「アイドルアニメ」「ゾンビアニメ」「ギャグアニメ」です。そもそも「アイドル」と「ゾンビ」がどうやって共存しているのかが意味不明です。しかし、「ギャグ」を緩衝材として挟むことで、3つ全てを完全な形で成立させています。

その結果、ゾンビだからこそ発生する笑いを我々に届けてくれ、その笑いは全てつながりを持ち重圧な文脈となって我々の心を揺さぶります。間違いなくゾンビでなければ発生しえない感動が「7話」「8話」「9話」「12話」に詰まっています。

特に7話はその最たるものであり、通常ではありえないような状態を「ゾンビだから」と一笑し、どう見てもギャグにしか見えないような構図ではありますが、これまでフランシュシュを見守ってきた我々にしかわからない確かな感動を伝えてくれます。よか……。という訳でとりあえず7話まで見てください。

しかし、このアニメには、宮野真守氏の演じる「巽幸太郎」というキャラクターが、言葉を選ばずに言うとウザすぎるという致命的な欠点があります。私もこの欠点を見過ごせなかった人間の一人で、6話まではいい加減に見ていたし、私のツイッターのフォロワーにも同じ理由で視聴を断念している人がいました(私は最終話を見る前にきちんと全話見直したので許してください)。あるところまで見て頂ければ、これは大変な誤りであり、認識が甘かったと痛感させられるのですが、そこに到達するまでが長いように感じます。

そこで、これは本当に正しいことなのか分かりませんが、そのような人には一つの話でほぼ完結していて、しかも強大な文脈を備えている8話だけでも見て頂きたいです。できれば8話を見る前に5話のAパートも見て頂きたいのですが、5話は巽幸太郎が大暴れしているので、少し厳しいと思います。

もちろん、全ての話を見てからの12話は5000兆点を与えたくなるような大傑作です。「ヨミガエレ」のところでは、気が付くとフランシュシュと源さくらちゃんを応援していて、その一瞬の衝撃に言葉を失い、思わず立ち上がり叫びたくなってしまいました。9月にスタァライトで再生産して12月にサガでヨミガエレをする2018年、本当にどうなっているんだ。

 

まとめると、ゾンビランドサガは、ゾンビであることをギャグを通してアイドルへと昇華するアニメでした。

 

 

ここまででまぁこのアニメがどういう話で、8話を見なければならないということは伝えたと思うので、ここからは自分の話したいことをネタバレとか一切気にせずに話します。

 

 

このアニメ、好きなところが多いんですが、すごいなと思ったのは12話のアイキャッチの「アイドルとは死ぬことと見つけたり」です。

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 これは、佐賀の藩士「山本常朝」の口述を「田代陣基」が筆録した「葉隠」の一節、「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」をもじったものらしいです。12話で見せつけられて何も言えなくなってしまいました。

というわけで、文庫本にまとめられた「葉隠」を買ってきて該当部分を読んでおったまげたのでその話をします。

該当部分の現代語訳なんですが、とりあえず下に引用します。悲しいですが手打ちなので、誤植があったら笑って見逃してください。

武士道というのは、死ぬことと見つけた。―――(中略)―――我々は生きる方が好きである。大方好きの方に理屈をつけるはずである。もし狙いを外して生きたならば腰抜けである。この境目に危なさがある。狙いを外して死んだならば、犬死に、気違いであっても恥にはならぬ。毎朝毎夕、改めては死に死んで、常時死に身になっている時は、武道に自由自在となり、一生落ち度なく家職を仕果たすことができるのである。[1]

 ―――(中略)―――今日討ち死に、今日討ち死にと必死の覚悟を極め、もし無嗜みで討ち死に致しますと、かねてからの不覚悟が露わとなり、敵に見限られ、汚らしいとされますので、老若ともに身なりを嗜み申したことでした。

―――(中略)―――常時討ち死にの心組みにはまり切り、とくと死に身に成り切って奉公も勤め、武篇も致しますならば恥辱のあるはずがありませぬ。このようなことを夢にも気付かず、欲望・わがままばかりで日を送り、行き当っては恥をかき、それも恥とも思わず、自分さえ快くありましたら何も構わぬなどと言って、放埓・無作法のふるまいになって行きましたことは返す返す残念な次第です。かねてからの必死の覚悟のない者は、定めし死場が悪いと決まっています。[2]

葉隠の原文を読みたいという人は、葉隠原文Webへのリンクを貼っておくので読んでみてください(リンクフリーらしいです)。

hagakure-text.jp

私の国語力でまとめると、「常に自分は(概念として)死んでいる身[3]であると考えて、日々の生活を必死に生きなければならない。そうしないことは残念なことである」になります。えっそれってフランシュシュじゃんとなるわけですね、わかります。

フランシュシュのメンバーはもちろんゾンビで、死んでしまっています。だからこそ、あらゆる理不尽な状況をゾンビだからと乗り越えてしまえる強さを持っています。しかし、ゾンビだから無条件に死んでもいいという訳ではなく、彼女たちは、アイドルとして「生きたい」という目標を持っているんですよね。

フランシュシュのアイドルとしてのライブで代表的なものは、7話の「サガロック」と12話の「アルピノ」なのは言うまでもありません。

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サガロック

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アルピノ

画像が豪快なのですが、前者は落雷の直撃を受けステージが破壊された後のもので、後者は常識外れの積雪によりステージが倒壊しかけている状況ですね。

普通の人間というか常人である我々では、アイドルが雷に打たれたりステージが崩れたらそのライブは中止しますね、当たり前です。実際にサガロックやアルピノのスタッフは、ライブの中断と安全確認をします。それは大変正しい。

しかし、フランシュシュプロデューサーの巽幸太郎は、ステージの続行を宣言します。そして、その極限状況下でもライブをするために立ち上がり歌うフランシュシュに、生きようともがくフランシュシュに、我々は感激し涙してしまうのです。

 つまり、彼女たちはゾンビになり、常に「死んでいる身」でありながら、アイドルとして「生きたい」と考えており、そのためにどんな状況でもライブをやめようとしないのです。常識ではスタッフのようにライブを中止するのが正しいですが、この作品の世界観では常に死んでいると自覚し全力でライブを行う彼女たちの方が正しいのです。彼女たちは葉隠の武士道そのものだったということになり、「アイドルとは死ぬことと見つけたり」という一節がエモくなってしまいます。11話で巽幸太郎が「大慈悲を起こし人のためになるべきこと」と言われたのに対し「葉隠……そんなたいそうなものじゃありません」と返してからの、12話で実はフランシュシュは「葉隠」の武士道の体現であったという流れには脱帽せずにはいられないです。

よくよく考えてみれば、3話で純愛ペアに巽幸太郎が「あいつらはゾンビィだが、生きようとしている。お前らは、いつまでくすぶっているつもりだ」と言っていました。もはや葉隠を使いたくて佐賀県を舞台にしたのではと思ってしまいます。初見でもカッコいいのに、見直したらどんどん重くなっていくのは良いことですね。このアニメ、見直したらはぁエモいとなるセリフと行動が多すぎてわけわからんので、頭の中がまとまらないです。

あと二階堂サキちゃんは、生前から死んだ身となって爆走していましたね。彼女は心が強い上に物理的にも強いので、最強です。フランシュシュで一番好きなのはと聞かれると、二階堂サキと答えてしまいます。1話から見直した後、3話くらいでファンになりました。

 

ゾンビとして蘇った少女たち。彼女たちは死んだ身でありながら、生きるために全力でアイドルをする。そんな理不尽に抗う彼女たちを見て我々は次の言葉を呟かずにはいられない。「よか……。」

 

おわり

 

参考文献

[1] 山本常朝,田代陣基;著,佐藤正英;校訂,吉田正樹;監訳注:定本 葉隠上〔全訳〕,ちくま学芸文庫(2017);葉隠聞書 一 教訓  2 より引用 

[2] 山本常朝,田代陣基;著,佐藤正英;校訂,吉田正樹;監訳注:定本 葉隠上〔全訳〕,ちくま学芸文庫(2017);葉隠聞書 一 教訓  63 より引用

[3]山本常朝,田代陣基;著,佐藤正英;校訂,吉田正樹;監訳注:定本 葉隠上〔全訳〕,ちくま学芸文庫(2017);葉隠聞書 一 教訓  2 注(11) を参考にさせて頂いた