ロキロキの雑記

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【感想】『ペンギン・ハイウェイ』を見てきました

お久しぶりです。先日『ペンギン・ハイウェイ』の存在を知り、調べてみると原作者が『四畳半神話大系』の人と同じということで見に行くか~となり、京都に遊びに行った際に高校時代からの悪友と見に行ってきました。

 

penguin-highway.com

 

あらすじとしては、「主人公のアオヤマくんは利口な小学校4年生。日々の生活で学んだことをノートに書き留めており、特に、なぜか自分を魅了し神秘的な存在である、歯科医院のおねえさんのおっぱいに対し強い関心を寄せている。そんな中、街に突然ペンギンが現れ、話題になる。アオヤマくんはペンギン、おねえさん、その他街の異常に対して研究を続け、その謎を解明していく……」みたいな話です。ちなみに原作は未読です。事前知識として、「おっぱいおねショタアニメ」、「一部の人から性的なんとかと言われている」、「アオヤマくんが賢い」「ペンギン」くらいを持っていました。

 

以下、しばらく酷評が続くので見たくない人は飛ばしてください(太字にしておきます)。 ちなみに、私と一緒にペンギンハイウェイを見た友人の評価は、「つまらない」でした。そのため、彼との意見交換を経て意見が歪んでしまった可能性があるので、先に断っておきます。

以下常体。

 

ペンギン・ハイウェイを見たが、見終わった直後に感じたことを総評すると「アオヤマくんに人間味がなさ過ぎて何も感じることができなかった」になる。というのも、アオヤマくんが感情を表に出さず全てを理屈のようなもので表現していくので、とても小学校4年生に見えなかった。彼が大変頭がいいことはまあ分かるし、おっぱいに興味津々なのも、圧倒的な早熟で第二次性徴が来てしまったと考えれば、分からないでもない。しかし、彼のノートに纏められたおねえさんやおっぱいに関する記述、自動販売機でのアレやプールでのソレを見ると、小学生どころか中学生とも高校生とも思えない。少なくとも感情のある人間とは思えない。これらと早熟と賢さが重なって、アオヤマくんから人間味が全く感じられなかった。肝心のノートなどによる賢さの描写も、冒頭の「僕はたいへん頭がよく~」みたいな一言で先入観を持ってしまった気がして、楽しめなかった。いじめっこ三人組の方が小学生であり、人間らしいと感じた。彼らは例えるなら『ドラえもん』に出てくるジャイアンのような人物で、度を越えたイタズラもするが、義理堅く人情があり、大変魅力的に見えた。しかし、主人公はのび太でもジャイアンでもなく、頭の中がおねえさんとおっぱいと研究で埋まっており、すべてを理屈で合理的に判断する小学校4年生だった。

しかしおねえさんとおっぱいに対してはとても大きな感情を持っている。それは物語の終盤でいかんなく発揮され、いい感じになってはいた。しかし、彼の感情が見えなかったので何も感じられなかった。つまり、アオヤマくんは「感情がおねえさんとおっぱいに支配され、その賢さと論理性によって全てを合理的に判断するおねえさん特化型ロボット小学校4年生」なのだ。そんな彼におねえさんはひたすら優しいという事実も不気味である。おそらくアオヤマくんは大人になるまでの3000日強の間、ひたすらおねえさんとおっぱいの研究をするのだろう。(これは言い過ぎである。詳しくは追記参照。)少なくとも私には、アオヤマくんの情緒がわからなかった。

 

 さて、ここまで酷評を続けたが、私はこの作品のことをつまらない作品だったとは考えていない。なぜなら、SF部分は見ごたえがあったからだ。天才アオヤマくんの研究によっておねえさんやペンギンの謎が考察されていく様子は面白かったと思うし、ペンギンの描写もアニメならでばという感じで舌を巻いた。そのため、アオヤマくんが非人間だったので駄作と決めつけるのは早計な気がする。そもそも、あんなに気持ちの悪い小学校4年生を主人公にしたのは何か理由があったからではないか。少し考えてみたい。

 

アオヤマくんに何を足したり引いたりしたら、まだ可愛げのある小学生になるか考えてみたい。但し、先述の通り「アオヤマくんの研究によっておねえさんやペンギンの謎が考察されていく様子は面白かった」ので、ここの部分は変わらない程度にしたい。私がアオヤマくんを更生できる可能性として思いついたものは以下の3つだ。

  • 人並みの感情
  • 賢さに対する謙虚さ
  • 早熟さをなくす

しかし、これらはアオヤマくんとペンギン・ハイウェイに不要、若しくは不可欠なものである。なぜなのか順に見ていきたい。

まず、人並みの感情について。これを足したアオヤマくんは、例えば自販機やプールで怒ったり恥ずかしがったりしただろう。人間味が増している。しかし、そんな彼は、ちょっと頭のいい普通の小学生になり、研究に私情などが入っているのではないかという疑念が生まれてしまう。これは、おねえさんやペンギンの謎を研究によって解明しようとするこの作品では、致命的な問題である。したがって、感情的になるのは極力避け、全てを合理的に判断するのが望ましい。

次に、賢さに対する謙虚さについて。「僕はたいへん頭がよく~」なんて言ってしまうと、井の中の蛙のようである。彼が作中で唯一謙虚になったものとして、チェスがある。自分より優れた存在を認め、勝てるよう練習し、勝利を収めている。これは明らかに成長であり、研究に関してもこの謙虚さがあれば成長が描けたのではないだろうか。しかし、この謙虚さを持つと、研究に対して委縮してしまい、わからないから頭のいい大人にまかせようとなってしまう。これではおねえさんやペンギンの研究をしようとはならないかもしれない。また、実際に頭が良くないと、研究し考察することができなくなるので、頭が良いと自覚するほどに賢いことはプラスになる。

最後に早熟さをなくしてみるが、これは論外である。早熟さをなくす方法として、単純に早熟ではないとするか、年齢を上げるという手段がある。しかし、前者については、おねえさんとおっぱいを研究するには異性を自覚し興味を持つ必要があり、後者についてはただの気持ちの悪い変態ストーカーになってしまうため、ありえない。他にもアオヤマくんを真人間にする方法はあるかもしれないが、やはり物語に大なり小なり矛盾が生じてしまうと思われる。

このように、アオヤマくんが少しでもまともな小学生に近づくと、物語がペンギン・ハイウェイでなくなってしまう。つまり、〈アオヤマくんでない〉ならば〈ペンギン・ハイウェイでない〉が成立する。これの対偶を取ると、〈ペンギン・ハイウェイ〉ならば〈アオヤマくん〉となる(本当は直接示そうとしたが、長くなったのでやめた)。すなわち、ペンギン・ハイウェイというSFを作った後で、それを語るのに最もふさわしい人物としてアオヤマくんは創られたのだ。

もちろん、先にアオヤマくんというキャラクターを作り、その人物を元にペンギン・ハイウェイという作品を作ることもできるだろう。しかし、わざわざ気持ちの悪い奇怪な小学生を主人公にする理由がわからない。それよりは、ペンギン・ハイウェイという作品の筋書きに合わせてアオヤマくんが誕生した、もしくは主人公の前身として、もっと親しみやすい「アオヤマプロトタイプ」がいたが、ペンギン・ハイウェイに合わせてアオヤマくんに変わっていったと考える方が自然である。逆に、どんなに物語に合わせた主人公を創ったとしても、いくらかは魅了的に見せることもできただろう。しかし、アオヤマくんは語り手の役割を忠実に守る理屈屋で、そのようなスキを与えない。少なくともおねえさんとおっぱいに対する情熱しか観測できない。アオヤマくんがおっぱい大好きロボット小学生だったのは、『ペンギン・ハイウェイ』を語るために創られた究極のストーリーテラーだったからだ。

したがって、この作品は少年の夏の冒険談ではなく、純粋なSF作品ということになる。ここまで考察が進むと、私の酷評はSFを通してアオヤマくんの物語を見ようとしており、ナンセンスだったことがわかる。実際は、アオヤマくんを介してSFを見るべき作品だったのである。

というわけで、この作品は面白いSF映画である。SF好きな人にならおすすめできるし、この文章でアオヤマくんに興味を持った人がいたら、試しに見ていいかもしれない。何よりペンギンに関する種々の描写は圧巻だった。

 

惜しむらくは、アオヤマくんにおねえさんに対する感情を残さなければならなかったことだろう。この感情があったため中途半端に人間物語が発生したが、彼の人となりのせいで不気味さしか感じることができなかった。その分でSFを語ってほしかった。そもそもこの作品の感想が「おっぱい」「おねショタ」となってしまうのは、アオヤマくんの頭の中におねえさんとおっぱいしかなかったからではなかろうか。

 

尤も、一番惜しいのは、私がこの物語に少年の冒険談という側面を全く見いだせなかったことかもしれない(いじめっこ三人組を主人公にして別の話を作ってくれ)。

  

おわり

 

 

 (追記)

酷評のところで、「おそらくアオヤマくんは大人になるまでの3000日強の間、ひたすらおねえさんとおっぱいの研究をするのだろう。」と書いていたが、これは言い過ぎである。

まず、このように書いた理由は次のようなものである。

アオヤマくんは、これからも世界の疑問に向き合い、考察や研究を続けていくのだろうということが、ラストからわかる。その研究の目的は、「おねえさんとおっぱいの謎を解き明かし、再びおねえさんに会うこと」である。そのため、アオヤマくんがこれから研究する対象は、究極的にはおねえさんとおっぱいにつながる内容になると考えるのが自然であり、そうでなければ、おねえさんと再会するために研究を続けるというラストの意味がなくなってしまうと考えたからである。

しかし、この後に考察を深めた際に、この物語の重要な要素を見逃していたことに気が付いた。それは「エウレカ」である。

エウレカ」は、自称天才のアオヤマくんが、劇中で学んだ数少ない要素の一つである。「エウレカ」を覚えたアオヤマくんにとって、疑問に思ったことは、おねえさんとの関係の有無にかかわらず研究し、頭の中の一枚図に書き連ねるべきものである。それらはいつか想像もつかないつながり方をし、やがておねえさんに至る「ペンギンハイウェイ」が見えてくるとアオヤマくんが考える可能性は十分にある。

したがって、アオヤマくんはこれからも疑問に思ったこと全てに対して研究を続けていくのだろうと結論付けることができる。